福島県双葉郡を訪れて
週末は福島ですごしました。
福島県双葉郡へ1/26(日曜)に行ってきました。
京都から700K、福島県いわき市平から1時間弱の場所です。
福島第一原子力発電所付近の福島県双葉郡を訪れる前に、
少し勉強してから訪れようって思いました。
勉強の内容は放射線のこと(内部被爆と外部被爆とか)
、原発事故のこと(本当に津波だけによって事故は起きたのか)
とか、エネルギー政策、震災関連死、震災関連被害、
災害なのか・人災なのか、など少だけ自分なりに勉強してから行きました。
2014/01/26
国道6号を四ツ倉から仙台方面に向かいます。
広野町を過ぎて、楢葉~富岡に入ると町の様子は一転します。
ここ富岡駅は福島第一原子力発電所から9キロの距離にあります。
数百メートル先に海があります。ここの地域は津波は15Mほどだったと聞きました。
駅舎があった所、改札のアルミかステンかパイプだけが流されずにありました。
覗き込めば、なんとか線路が見えます。
3年ほど前までは人が行きかう駅だったのですが・・・
震災後、私は岩手県の釜石に行きました。その時は街灯も信号も動いてないし、
電線も切れ、電柱もなくなっていた。家や工場、町もめちゃくちゃでした。
その3年前ほどの釜石の姿のようで、しかも当時のままであると言うことに
驚き、悲しい気持ちになりました。
線路内には津波によって流されたものがいろいろ。
今回、線量計を持って行きました。しかし、いろんな所に
モニタリングポストがありました。↓下の画像
駅前にあるモニタリングポスト。
年間被曝量簡易計算ツール
などを使って参考にしました。
駅前のここでは3.10064ミリシーベルト/年間(一日4時間の野外活動時)
少し前までは、まったく入れなかった場所とは思えない
極めて低線量に感じました。
ただ、いわき市とか、私の住む京都でも0.08マイクロシーベルトなので
一ケタ、所により二ケタの違いにより、10倍とか100倍などと危険に感じるのは
おかしいとも感じないです。先ほどの計算式で外部被爆だけで年間3.1ミリシーベルト
でしたが、世界的な自然のもたらす平均は2.4ミリシーベルトのようです。
国際的に安全とされる1年間100ミリ以下なら害はないとされてます。
国際基準では問題なさそうですが、日本政府は年間1ミリとか20ミリとか
、違いすぎる数値はどうしてなの?と、ここの数値の違いの大きさが
地域の荒廃を拡大させてしまった可能性が高くないかと考えもします。
国立がんセンターより、がんになるリスクのデータを貼りました。
(広島・長崎・チェリノブイリのデーターにより出されたもの)
普通の人の生活 がんになる確率倍率 1.0倍
年間100~200ミリシーベルト/年間 1.08倍
野菜不足の食生活 1.06倍
年間1000~2000ミリシーベルト/年間 1.8倍
喫煙 1.6倍
3合以上の飲酒など 1.6倍
やせすぎ 1.29倍
肥満 1.22倍
福島第一原発周辺で暮らすより、喫煙の方ががんになる確率は高いのですね。
日本政府が年間1ミリとか20ミリとかはどうなのでしょう。
国際基準と違いすぎるし、何もない自然放射線量で、世界平均2.4ミリ、日本平均
1.5ミリだそうです。食する物でも、納豆1キロあたり200ベクレム、米を食べても
0.1ミリシーベルト、牛乳、干物、昆布、野菜、なんでも放射能を普通に食べます。
がんのPET診断の注射は5億~10億ベクレムだそうです。
そんだけの放射線を体内に入れても、お亡くなりになられたとか、ニュースでも聞いたことないですよね。
そう、放射線って、がんの治療にも放射線治療とかCT,MRIとか、レントゲンなど治療にも使いますよね。
被爆した~って、普通は気にしてないですよね。
この景色の原因は他にもあるのではと、富岡の今を見回りしました。
時計はあの日のまま、あの時の時間のまま、時計も町も。
家にはいろんなものが・被災地はいろんな所行って見てはいますが、
徐々に復興が進んではいますが、強制避難があった地域は3年近く経過してまだ手付かず。
この画像も駅前の道路です。道路をふさいでるのはお家の二階部分だけ。
駅まで続く、商店の立ち並ぶメイン道路です。
見にくいですが、商店街の街灯がここ1個だけ電気が点灯していました。
駅から徒歩5分、
新しい住宅街に行きました。
人の住んでる気配などありません。
動物もいませんでした。
新しいマンション・住宅、すべて洗濯物など郵便物、新聞もこない。
意外に携帯は4Gが入りました。
新しいお店も。出店してすぐだったように見えました。
もう誰も来ないですね。
お店の横にモニタリングポストを発見。
ココは少し高めでした。原発からは8キロぐらいですかね。
先ほどの計算ツールで同じ条件では11.3ミリシーベルト/年間ですね。
一番高かったですが、問題ないようです。当然、安全なので防護服・マスク・何もしてません。
警察官、地元の消防の方々、建築土木の方々、防護服・マスクをしている方見かけませんでした。
除染作業や、すれ違うドライバーに普通の風のときにするようなマスクは見られた。
立派な家が沢山あります。
しかも新しい・戻りたいけど戻れない方多いように思います。
放射線は別として考えても、
スーパーが近くに営業してない。郵便局は閉鎖中、ガソリンスタンドも
楢葉までない、新聞も郵便物もこないし、学校も閉鎖中。
バスも動いてないし、タクシーもなし。病院も遠くになり、救急車や消防車も
時間がかかることでしょう。
結局は環境が整ってないです。
このお家もどなたかの新居です。モデルハウスのようです。
お庭も広々です。私がこの富岡の住民で環境が整えば、もどって暮らしたいと思うかな?
たぶんもどって暮らしたくなると思います。
しかし、子供や、さらに子供に孫が生まれ、孫が砂場で砂遊びをするとしたら
他の地域で暮らしなさいと言うかもしれません。
歩いて駅のほうに戻ります。
駅に停めた車に戻ります。(駐車場は本来有料ですが、破壊されて実質無料でした。)
慰霊にお供えして手をあわせて富岡街中に移動しました。
富岡町の中心に来ると役場からの防災放送がよく聞こえます。
どうやら役場には人がおられるようです。
富岡第二中学校に到着。
富岡第二中学校はキレイな住宅街にあります。
富岡町で桜並木の有名な通りです。信号も点滅しています。
画像の右奥が富岡第二中学校です。
お家、病院、会社、お菓子屋、
だれもいません。風の音しかしない。
犬、猫の多くは保護され、家畜や動物の多くは殺処分されましたので、
鳥、主にカラスしかいません。
路線バス君も置き去りです。
もどれる状態でないのは町を見ると感じます。
この道路から右側が富岡町の帰宅困難地域となります。
道路から左が居住制限区域です。どちらも人がいないのは
変わりなく、帰宅困難地域の看板、フェンスと管理カメラで
ここから帰宅困難地域だとわかります。
ここに居て、ここに立ってみると、帰宅困難地域とありますが、
居住制限区域も含め、帰宅困難地域にさせてしまった地域とも言えそうです。
やはり当時の政府の拙速の誤りが荒廃を拡大させてしまったと思う。
そうは思っても、メルトダウンした原子炉からどれだけの放射能漏れがあったか
わからない、地域住民を守らなくてはならないので、
拙速の誤りでないと仮定しても、20km圏内・封鎖・強制避難がその時は
正しかったとしても、あまりも立ち入り制限の解除が遅すぎなかったのかな~。
今の安倍政権、もとの福島になる日を早く実現してほしいです。
比較にできないかもしれませんが、原爆投下後の数4ケ月後の
広島の画像です。広島は第一原発より数万倍の線量があっただろうにも、天皇陛下も写っています。
3年近く経過して人の居ない町と比べて復興速度がまったく違うのは、やっぱ変だなぁ。
さらに進み、大熊町に行きました。今はここまで行けます。
福島第一原子力発電所は、福島県双葉郡大熊町・双葉町に立地する
福島県双葉郡大熊町を奥に進みました。
除染作業済みでしょうか、土がキレイにしてあります。
ここの周辺だけでも広大な土地です。
このような除染作業の土地は多くみられました。
すごい作業です。なんせ広いもの。
奥に見えるのが建設中の「復興に向けた常磐自動車道の整備」です。
福島第一原子力発電所から約5キロくらいだとおもいます。
↓画像・大熊町もここで行けなくなります。
下を流れる熊川はきれいな川です。水もとてもキレイ。
私は原発推進でも反対でもないです。
でも、原発をすぐにゼロとか安全確認から再稼動とかの
二者択一は馬鹿馬鹿しいと感じています。
エネルギー資源による他国との国益の衝突、
放射能の危険性、
原子力発電所の廃炉の技術が必要~これには
原発を即0にすると廃炉する研究ができない可能性、
万が一の原発事故時の現場への資材の物流、
メタンハハイドレートの資源化計画、
自然エネルギーの増加、
GTCC(ガスタービンコンバインドサイクル発電)の設備
放射性廃棄物貯蔵場所、
世界環境、食糧不足問題、その他、
原子力を使うことを決めていくことは、沢山のことを考え
いろんな方面から考えていく問題のように思います。
今、石油はペルシャ湾に頼ってるので、即原発0がコワイような気がする。
また、福島第一原発の事故は地震ではなく津波によってやられた。
本当にそうだったのか疑問もあります。
SRバルブの設計や排気ベント作動時にエアー配管に、地震による配管の破損で
作動しなかったとか、現場が必要とした資材の物流に問題はなかったのか、
さまざまな面で事故は津波だけではなさそうです。
この春、原発に関するドキメンタリー映画があります。
映画「パンドラの約束」
反原発の環境保護派さん達が、地球温暖化・気候変動の現実に
悩みぬいた末に出した結論は原子力エ-ネルギーの必要性。
反原発から原発支持の立場へと「-転換」
するドキュメンタリー映画らしいです。
どうして彼らは転換したの?
原発は危険ではないの?
福島を始め、チェルノブイリ、ブラジルなど世界中で取材
されたようです。全米では上映されてますが、日本では
2014、今年の春のようです。
ぜひとも見たい映画です。
↑熊川に架かる橋 第一原発から約5キロ。
最後に、
もとの福島に早く戻ってくれるよう願います。
帰宅困難地域周辺は帰りたい、戻りたい希望の町民は帰れるように
国がバックアップしてあげ叶えてあげていただきたい。
でも、こんなにも荒廃してしまって、多くの町の人は戻りたいのか
それすら意見は様々であるでしょう。自分一人では戻れない、
戻りたい希望の人が多数であれば戻れそうな気がしました。
除染作業の方々、原発で作業されてる方々、
道路などを整備されてる方々、町を警備・監視されてる方々、
本当にご苦労様です。この方々の日々復興へ向けて働いておられる
姿は目にしました。
福島は日本で3番目に広い面積であり、海に面して
農作物、海産物、果実、すごく豊富なんです。
お米にしても全国で一番安全と言われてます。なぜかと言うと
きびしい日本の基準に、全数検査をしているお米だからです。
上記に書いた通り、自然的に放射能は食べます。線量は地域や気候に
よって様々、それを福島はお米の出荷数全部を検査してますので
他府県より安全であると言えるわけです。
マスコミ・メディアは正確で正しい情報を発信してほしいと願います。
お米、フルーツ、野菜、安全です。すごい風評被害と
戦っておられます。でも福島の人は私の住む周りではない
地域の団結力と前向きな強い力でがんばっておられます。
悪い言い方ではなく、田舎のおっちゃん、おばちゃんはパワフルで
やさしくてすごいよ。ま・私は本当に福島LOVEみたいです。
今度は人がもどりつつある双葉を訪れたく思う。
国道6号から見る海は、天気がいいと、本当にキレイであるし、
国道6号でいわきから仙台にドライブしたいです。
2014/1/28
福島県双葉郡へ1/26(日曜)に行ってきました。
京都から700K、福島県いわき市平から1時間弱の場所です。
福島第一原子力発電所付近の福島県双葉郡を訪れる前に、
少し勉強してから訪れようって思いました。
勉強の内容は放射線のこと(内部被爆と外部被爆とか)
、原発事故のこと(本当に津波だけによって事故は起きたのか)
とか、エネルギー政策、震災関連死、震災関連被害、
災害なのか・人災なのか、など少だけ自分なりに勉強してから行きました。
2014/01/26
国道6号を四ツ倉から仙台方面に向かいます。
広野町を過ぎて、楢葉~富岡に入ると町の様子は一転します。
ここ富岡駅は福島第一原子力発電所から9キロの距離にあります。
数百メートル先に海があります。ここの地域は津波は15Mほどだったと聞きました。
駅舎があった所、改札のアルミかステンかパイプだけが流されずにありました。
覗き込めば、なんとか線路が見えます。
3年ほど前までは人が行きかう駅だったのですが・・・
震災後、私は岩手県の釜石に行きました。その時は街灯も信号も動いてないし、
電線も切れ、電柱もなくなっていた。家や工場、町もめちゃくちゃでした。
その3年前ほどの釜石の姿のようで、しかも当時のままであると言うことに
驚き、悲しい気持ちになりました。
線路内には津波によって流されたものがいろいろ。
今回、線量計を持って行きました。しかし、いろんな所に
モニタリングポストがありました。↓下の画像
駅前にあるモニタリングポスト。
年間被曝量簡易計算ツール
などを使って参考にしました。
駅前のここでは3.10064ミリシーベルト/年間(一日4時間の野外活動時)
少し前までは、まったく入れなかった場所とは思えない
極めて低線量に感じました。
ただ、いわき市とか、私の住む京都でも0.08マイクロシーベルトなので
一ケタ、所により二ケタの違いにより、10倍とか100倍などと危険に感じるのは
おかしいとも感じないです。先ほどの計算式で外部被爆だけで年間3.1ミリシーベルト
でしたが、世界的な自然のもたらす平均は2.4ミリシーベルトのようです。
国際的に安全とされる1年間100ミリ以下なら害はないとされてます。
国際基準では問題なさそうですが、日本政府は年間1ミリとか20ミリとか
、違いすぎる数値はどうしてなの?と、ここの数値の違いの大きさが
地域の荒廃を拡大させてしまった可能性が高くないかと考えもします。
国立がんセンターより、がんになるリスクのデータを貼りました。
(広島・長崎・チェリノブイリのデーターにより出されたもの)
普通の人の生活 がんになる確率倍率 1.0倍
年間100~200ミリシーベルト/年間 1.08倍
野菜不足の食生活 1.06倍
年間1000~2000ミリシーベルト/年間 1.8倍
喫煙 1.6倍
3合以上の飲酒など 1.6倍
やせすぎ 1.29倍
肥満 1.22倍
福島第一原発周辺で暮らすより、喫煙の方ががんになる確率は高いのですね。
日本政府が年間1ミリとか20ミリとかはどうなのでしょう。
国際基準と違いすぎるし、何もない自然放射線量で、世界平均2.4ミリ、日本平均
1.5ミリだそうです。食する物でも、納豆1キロあたり200ベクレム、米を食べても
0.1ミリシーベルト、牛乳、干物、昆布、野菜、なんでも放射能を普通に食べます。
がんのPET診断の注射は5億~10億ベクレムだそうです。
そんだけの放射線を体内に入れても、お亡くなりになられたとか、ニュースでも聞いたことないですよね。
そう、放射線って、がんの治療にも放射線治療とかCT,MRIとか、レントゲンなど治療にも使いますよね。
被爆した~って、普通は気にしてないですよね。
この景色の原因は他にもあるのではと、富岡の今を見回りしました。
時計はあの日のまま、あの時の時間のまま、時計も町も。
家にはいろんなものが・被災地はいろんな所行って見てはいますが、
徐々に復興が進んではいますが、強制避難があった地域は3年近く経過してまだ手付かず。
この画像も駅前の道路です。道路をふさいでるのはお家の二階部分だけ。
駅まで続く、商店の立ち並ぶメイン道路です。
見にくいですが、商店街の街灯がここ1個だけ電気が点灯していました。
駅から徒歩5分、
新しい住宅街に行きました。
人の住んでる気配などありません。
動物もいませんでした。
新しいマンション・住宅、すべて洗濯物など郵便物、新聞もこない。
意外に携帯は4Gが入りました。
新しいお店も。出店してすぐだったように見えました。
もう誰も来ないですね。
お店の横にモニタリングポストを発見。
ココは少し高めでした。原発からは8キロぐらいですかね。
先ほどの計算ツールで同じ条件では11.3ミリシーベルト/年間ですね。
一番高かったですが、問題ないようです。当然、安全なので防護服・マスク・何もしてません。
警察官、地元の消防の方々、建築土木の方々、防護服・マスクをしている方見かけませんでした。
除染作業や、すれ違うドライバーに普通の風のときにするようなマスクは見られた。
立派な家が沢山あります。
しかも新しい・戻りたいけど戻れない方多いように思います。
放射線は別として考えても、
スーパーが近くに営業してない。郵便局は閉鎖中、ガソリンスタンドも
楢葉までない、新聞も郵便物もこないし、学校も閉鎖中。
バスも動いてないし、タクシーもなし。病院も遠くになり、救急車や消防車も
時間がかかることでしょう。
結局は環境が整ってないです。
このお家もどなたかの新居です。モデルハウスのようです。
お庭も広々です。私がこの富岡の住民で環境が整えば、もどって暮らしたいと思うかな?
たぶんもどって暮らしたくなると思います。
しかし、子供や、さらに子供に孫が生まれ、孫が砂場で砂遊びをするとしたら
他の地域で暮らしなさいと言うかもしれません。
歩いて駅のほうに戻ります。
駅に停めた車に戻ります。(駐車場は本来有料ですが、破壊されて実質無料でした。)
慰霊にお供えして手をあわせて富岡街中に移動しました。
富岡町の中心に来ると役場からの防災放送がよく聞こえます。
どうやら役場には人がおられるようです。
富岡第二中学校に到着。
富岡第二中学校はキレイな住宅街にあります。
富岡町で桜並木の有名な通りです。信号も点滅しています。
画像の右奥が富岡第二中学校です。
お家、病院、会社、お菓子屋、
だれもいません。風の音しかしない。
犬、猫の多くは保護され、家畜や動物の多くは殺処分されましたので、
鳥、主にカラスしかいません。
路線バス君も置き去りです。
もどれる状態でないのは町を見ると感じます。
この道路から右側が富岡町の帰宅困難地域となります。
道路から左が居住制限区域です。どちらも人がいないのは
変わりなく、帰宅困難地域の看板、フェンスと管理カメラで
ここから帰宅困難地域だとわかります。
ここに居て、ここに立ってみると、帰宅困難地域とありますが、
居住制限区域も含め、帰宅困難地域にさせてしまった地域とも言えそうです。
やはり当時の政府の拙速の誤りが荒廃を拡大させてしまったと思う。
そうは思っても、メルトダウンした原子炉からどれだけの放射能漏れがあったか
わからない、地域住民を守らなくてはならないので、
拙速の誤りでないと仮定しても、20km圏内・封鎖・強制避難がその時は
正しかったとしても、あまりも立ち入り制限の解除が遅すぎなかったのかな~。
今の安倍政権、もとの福島になる日を早く実現してほしいです。
比較にできないかもしれませんが、原爆投下後の数4ケ月後の
広島の画像です。広島は第一原発より数万倍の線量があっただろうにも、天皇陛下も写っています。
3年近く経過して人の居ない町と比べて復興速度がまったく違うのは、やっぱ変だなぁ。
さらに進み、大熊町に行きました。今はここまで行けます。
福島第一原子力発電所は、福島県双葉郡大熊町・双葉町に立地する
福島県双葉郡大熊町を奥に進みました。
除染作業済みでしょうか、土がキレイにしてあります。
ここの周辺だけでも広大な土地です。
このような除染作業の土地は多くみられました。
すごい作業です。なんせ広いもの。
奥に見えるのが建設中の「復興に向けた常磐自動車道の整備」です。
福島第一原子力発電所から約5キロくらいだとおもいます。
↓画像・大熊町もここで行けなくなります。
下を流れる熊川はきれいな川です。水もとてもキレイ。
私は原発推進でも反対でもないです。
でも、原発をすぐにゼロとか安全確認から再稼動とかの
二者択一は馬鹿馬鹿しいと感じています。
エネルギー資源による他国との国益の衝突、
放射能の危険性、
原子力発電所の廃炉の技術が必要~これには
原発を即0にすると廃炉する研究ができない可能性、
万が一の原発事故時の現場への資材の物流、
メタンハハイドレートの資源化計画、
自然エネルギーの増加、
GTCC(ガスタービンコンバインドサイクル発電)の設備
放射性廃棄物貯蔵場所、
世界環境、食糧不足問題、その他、
原子力を使うことを決めていくことは、沢山のことを考え
いろんな方面から考えていく問題のように思います。
今、石油はペルシャ湾に頼ってるので、即原発0がコワイような気がする。
また、福島第一原発の事故は地震ではなく津波によってやられた。
本当にそうだったのか疑問もあります。
SRバルブの設計や排気ベント作動時にエアー配管に、地震による配管の破損で
作動しなかったとか、現場が必要とした資材の物流に問題はなかったのか、
さまざまな面で事故は津波だけではなさそうです。
この春、原発に関するドキメンタリー映画があります。
映画「パンドラの約束」
反原発の環境保護派さん達が、地球温暖化・気候変動の現実に
悩みぬいた末に出した結論は原子力エ-ネルギーの必要性。
反原発から原発支持の立場へと「-転換」
するドキュメンタリー映画らしいです。
どうして彼らは転換したの?
原発は危険ではないの?
福島を始め、チェルノブイリ、ブラジルなど世界中で取材
されたようです。全米では上映されてますが、日本では
2014、今年の春のようです。
ぜひとも見たい映画です。
↑熊川に架かる橋 第一原発から約5キロ。
最後に、
もとの福島に早く戻ってくれるよう願います。
帰宅困難地域周辺は帰りたい、戻りたい希望の町民は帰れるように
国がバックアップしてあげ叶えてあげていただきたい。
でも、こんなにも荒廃してしまって、多くの町の人は戻りたいのか
それすら意見は様々であるでしょう。自分一人では戻れない、
戻りたい希望の人が多数であれば戻れそうな気がしました。
除染作業の方々、原発で作業されてる方々、
道路などを整備されてる方々、町を警備・監視されてる方々、
本当にご苦労様です。この方々の日々復興へ向けて働いておられる
姿は目にしました。
福島は日本で3番目に広い面積であり、海に面して
農作物、海産物、果実、すごく豊富なんです。
お米にしても全国で一番安全と言われてます。なぜかと言うと
きびしい日本の基準に、全数検査をしているお米だからです。
上記に書いた通り、自然的に放射能は食べます。線量は地域や気候に
よって様々、それを福島はお米の出荷数全部を検査してますので
他府県より安全であると言えるわけです。
マスコミ・メディアは正確で正しい情報を発信してほしいと願います。
お米、フルーツ、野菜、安全です。すごい風評被害と
戦っておられます。でも福島の人は私の住む周りではない
地域の団結力と前向きな強い力でがんばっておられます。
悪い言い方ではなく、田舎のおっちゃん、おばちゃんはパワフルで
やさしくてすごいよ。ま・私は本当に福島LOVEみたいです。
今度は人がもどりつつある双葉を訪れたく思う。
国道6号から見る海は、天気がいいと、本当にキレイであるし、
国道6号でいわきから仙台にドライブしたいです。
2014/1/28
by seikotoyuuji | 2014-01-28 17:26 | 週末